御綱祭

次第
当日早旦神輿を土俵に安置し斎場を装飾す
時刻斎主以下祭員氏子会役員、神輿係、
 年番町役員所定の座に著く
次に修祓
次に降神(此の間警蹕諸員磬折)
次に斎主一拝(諸員之に倣ふ)
次に神饌を供す
次に斎主祝詞を奏す(此の間磬折)
次に斎主、祓主神輿御綱を祓ふ
次に斎主玉串を奉りて拝礼
次に氏子会役員、總社宮神輿係、
 年番町神輿部代表玉串を奉りて拝礼
次に神饌を撤す
次に斎主一拝(諸員之に倣ふ)
次に昇神(此の間警蹕諸員磬折)
次に神酒拝戴
次に神輿装飾(總社宮神輿係の指示に従い神輿を準備する)

解説
 令和元年(2019)現在の例大祭で行われる一連の行事において、期間中最初に行われる祭典。通常は神幸祭当日の午前9時から行われるが、日程によっては早まることもある。御祭神の御分霊(ごぶんれい・わけみたま)を遷すための大神輿を準備する前に、御綱(みつな)や鳳凰など一連の装飾具を祓い清めるために行われる。従来神職のみで行っていたが、平成21年(2009)以降、氏子会長と総代、年番町祭典委員長と神輿部長以下神輿部役員、總社宮から大神輿の装飾を委託されている「御綱役(みつなやく)」の総勢約20名ほどが参列する。発輿祭で神霊遷しを行うために土俵上に大神輿を安置し、その手前に神籬、神饌案を設ける。修祓の、御祭神を降神しての祝詞を奏上し、斎主が切麻をもって各所を祓う。本祭典終了後、總社宮神輿係、御綱役の指導により年番町神輿部が大神輿の準備を開始し、御綱をかけ、榊や紙垂によって装飾する。なお、祭場となる土俵は事前に年番町相撲部によって奉納相撲用に紫の大幕などの装飾が施されている。

町内間挨拶の儀

次第
先ず開会の辞
次に宮司挨拶
次に年番町祭典委員長挨拶
次に振興協議会会長挨拶
次に石岡市長挨拶
次に助成金贈呈
次に年番町代表謝辞
次に町内間挨拶の儀及び祝儀交換
次に手締式(三本締)
次に閉会の辞

解説
 参集殿において36の氏子町内=祭礼参加町内の代表者が2名ずつ参加する行事。従来祭礼当日の朝、「相町」を中心とした親交のある町内同士で祝儀を交換し合う風習があった。しかし自動車社会になるにつれ市内の交通が混雑し、祭礼準備に遅れが生じることなどを理由に全町参加の祝儀交換会として昭和63年に始まった。氏子総代は神幸祭の前日に神社に集合。各町内代表者が持参する祝儀を受け取り、氏子会長名の祝酒2升を手渡す。祝儀は自町内以外の全町内分を用意して一町内あたり一律2千円と取り決めている。相町である町内への祝儀の金額は不定。氏子会では受け取った祝儀を封をしたまま各町内ごとに振り分け、当日巫女の介助を受けて会長が直接、町内代表者に手渡す。通例では神幸祭の午前10時に行われ、宮司、年番町祭典委員長に続き市長や振興協議会、観光協会の会長が来賓として挨拶する。祝儀を受け取った町内代表者は年番町への祝意を中心とした挨拶を述べる。なお、本儀において氏子会から年番町に対して奉納相撲の助成金が手渡される。(令和元年〈2019〉現在の金額は75万円)儀式の最後には三本の手締式が行われる。

全町安全祈願大神札授与式

次第
時刻斎主以下祭員参進(是より先手水の儀あり)
次に斎主以下祭員氏子会参列者所定の座に著く
次に修祓
次に斎主一拝(諸員之に倣ふ)
次に神饌を供す
次に斎主祝詞を奏す(此の間諸員平伏)
次に斎主玉串を奉りて拝礼(祭員列拝)
次に氏子会役員、参列者玉串を奉りて拝礼(関係者列拝)
次に神饌を撤す
次に斎主一拝(諸員之に倣ふ)
次に氏子町内役員に大神札を授与す

解説
 ささら、幌獅子、山車といった町内の祭礼風流(出し物)に取り付けるための大神札を手渡すための祭典。例年町内間挨拶の儀に引き続き神幸祭当日の午前10時30分から行われるが、日程によって前後することもある。羽織袴の氏子町内代表者が参列。修祓をして大神札が祓い清められた後に斎主が祝詞を奏上。氏子会長に併せて全員が玉串拝礼をする。なお大神札は一つの出し物に対して一体渡されるため、町内によっては複数体受け取ることになる。斎主から直接大神札を受け取った町内役員はそのまま会所に戻って出し物への取り付けを始める。この神札は御祭神の霊威を込めたものであり、正統な出し物である「お墨付き」としての意味合いがある。そのため本来は大神札を取り付けてから出し物の「出発式」を行い、町内回りなどの巡行を始めるものであった。伝統的な土橋町などは元来行われるこの手順を踏襲しているが新興の町内などは大神札をつけずに巡行を始め、授与式に参列した代表者が大神札を持ち帰ってから取り付ける例も見られる。なお、大神札は令和元年(2019)現在、一尺八寸(約54㎝)の大きさであり、掛け紙左手に「〇〇町殿」として各町内名が墨書されている。この大神札は例大祭時に新たに受け取り、古いものは神社で預かりお焚き上げをする。なお、従来は「町内安全祈願大神札授与式」と呼ばれていたが、奉祝祭に行われる「年番町安全祈願祭」との混同を避けるため平成28年(2016)より現行の名称へと変更がなされた。

幌獅子總揃

次第
時刻斎主祭員、各町幌獅子所定の座に著く
次に修祓
次に全員拝礼
次に代表挨拶

解説
 各町内の祭礼風流のうち、幌獅子は大神輿とともに巡行可能なため、供奉行列に加わって氏子区域を巡行する。発輿式が終わり大神輿が出御するまでに幌獅子は總社宮周辺に到着し、行列の出発に伴い合流する。平成27年(2015)より待機場所として国衙跡である石岡小学校運動場が選ばれ、石岡獅子舞連合会の取りまとめにより總社宮に向かって整列し遥拝式を行っている。これが幌獅子總揃である。修祓のあと石岡獅子舞連合会会長に合わせて幌獅子に伴う氏子各員は總社宮へ拝礼。代表挨拶のあと記念写真が撮影されている。

神幸祭(発輿式)

次第
当日早旦社殿並びに仮殿を装飾し神幸具を準備す
氏子会長、副会長、年番町役員参集殿玄関前に整列し総代、
 各町役員を出迎へる
時刻宮司以下祭員神幸所役、総代及び氏子会役員、
 年番町役員各町崇敬者代表 拝殿ヘ参進
 (是より先手水の儀あり)
次に各員所定の座に著く
次に神楽太鼓を奏す
次に修祓
次に宮司一拝(諸員之に倣ふ)
次に宮司御扉を開き畢りて側に候す(此の間警蹕諸員平伏)
次に神饌を供す
次に宮司祝詞を奏す(此の間諸員平伏)
次に宮司玉串を奉りて拝礼(禰宜以下祭員列拝)
次に総代、氏子会役員、年番町役員、玉串を奉りて拝礼
 (関係者列拝)

次に宮司天国宝剣を祭典委員長に授く
次に祭員所役に真榊、唐櫃を授く
次に祭員儀仗奉仕者に社銘旗、比礼鉾、四神旗、錦旗を授く
次に宮司殿内に参入(諸員所定の位置に列立す)
次に禰宜御扉を閉づ
次に氏子会役員以下随神門前へ整列
次に露祓町清祓並びに挨拶の儀
次に神霊遷しの儀
次に冨田町ささら踊り
次に土橋町昇殿の舞
次に仲之内獅子舞
次に神輿衆清祓並びに神酒拝戴
次に宮司出御を宣す
時刻一本締め
次に出御

解説
 例大祭の初日は日程全体が「神幸祭」と呼ばれる。これが広義の神幸祭である。狭義には午後1時から行われる本祭典とそれに伴う神輿並びに供奉行列の渡御を言う。氏子会長以下総代、年番町祭典委員長以下役員数名、振興協議会会長、石岡獅子舞連合会会長、石岡囃子連合保存会会長、石岡青年会会長、氏子各町内の代表者2名ずつが参列し、市長や観光協会会長なども来賓として参加する。

 時刻前に年番町は一足先に神社に到着し、他の町内代表者を出迎える。露祓三町は随神門内にささら、幌獅子で参入し出御を待つ。時刻、号鼓とともに社殿で祭典開始。修祓、宮司一拝の後、宮司の手により本殿御扉(みとびら)が開かれる。献饌の後神幸祭の祝詞が奏上され、これから一年に一回の例大祭が始まり、年番町に造営された仮殿へと御分霊を遷す神幸(じんこう・みゆき)を行うことが御祭神に奉告される。宮司以下各員が玉串拝礼の後、宮司から年番町祭典委員長に「天国宝剣」が授けられる。

 この剣は總社宮の社伝によれば16世紀に常陸大掾氏最後の当主・清幹の父・貞国が奉納した古代鉾の一部とされる。国府総社の例大祭は国府の祭りの現在形であるため、いわば「国司の名代」として年番町の最高責任者に授与され、大神輿とともに渡御する。

 次に真榊、唐櫃、社銘旗、比礼鉾、四神旗、錦旗といった威儀物が年番町から選出された所役に手渡される。手渡された神具とともに各員は拝殿を出て所定の場所で待機。神職4名が絹垣(きぬがき・きんがい)、1名が行障(ぎょうしょう・こうじょう)を手にして宮司が御分霊を本殿から遷し始めるのを待つ。絹垣に囲まれた御分霊の出御とともに神職が警蹕を発し、周辺に低頭を促す。御分霊が列に入り、行列が動き始める際には土橋町の囃子衆が笛・太鼓の囃子を始める。

 行列はささらを先頭にし、土橋町、仲之内の幌獅子(いずれも小屋はつかない)、真榊以下の威儀物が続く。御分霊は土俵前まで移動すると宮司の手により大神輿内に安置。大神輿に鍵がかけられた後、絹垣が取り除かれ、冨田町、土橋町、仲之内の順で御分霊に対する奉納舞が行われる。ささらは三匹踊り、土橋町は昇殿の舞を奉納する。

 露祓の奉納舞が終わると神職により神輿の担ぎ手の清祓が行われる。神輿衆は例年180~200名で神社所有の白丁(浄衣)と懐中烏帽子を着用する。

 清祓の後、大神輿は担ぎ手によって土俵から参道上へ移動され、出御の時間を待つ。時刻になると宮司が出御を宣言して年番町へ大神輿の巡行を託す。これを受けて年番町神輿部長は口上を述べ、拍子木による一本締めで出御する。巡行順序は図の通りである。渡御は大鳥居から出て年番町の仮殿へと向かうが巡行路は年番町が設定したものであり、毎年一定ではない。全体の日程に鑑みて大神輿の渡御は概ね2時間を目安としている。巡行路は年番町により特徴があるが、相町の会所を巡行路上に載せるのが町内付き合い上の礼儀と考えられている。また年番町は大神輿を出来るだけ町内の隅々まで巡行させようと努力する。

露祓町挨拶の儀

次第
時刻斎主以下祭員、氏子総代、年番町神輿部、
 露祓町各員所定の座に著く
次に修祓
次に年番町口上
次に露祓町口上
次に金幣を授与す
次に総代挨拶
次に手締式

解説
 露祓町挨拶の儀とは当該年度の祭礼を取り仕切る年番町が、大神輿以下供奉行列の露祓を冨田、土橋、仲之内の露祓三町に依頼すべく口上を述べる儀式である。同時刻に拝殿内で神幸祭発輿式が行われており、拝殿脇の境内で行われる。元来年番町と露祓三町のみで行っていたものと思われるが、昭和63年より神職が仲介することとなり儀式として整えられた。まず修祓により露祓町の証である金幣と、三町の祭礼風流、参列者を祓ったのち、年番町が口上を述べる。発輿式に神輿部長が参列しているため口上は神輿部の副部長が行うことが多い。内容は總社宮から年番町まで渡御が恙なく行われるよう露祓を依頼するものである。それに対し露祓町の代表が答辞を述べる。金幣が授与されると儀式を見届けた旨、総代が挨拶を述べ、年番町の音頭で三本の手締式が行われる。この後、露祓三町の祭礼風流は神霊遷しのため隊列を組みなおす。

 本儀は大神輿の出御、着御ごとに行われるため神幸祭、還幸祭に際して2回ずつ計4回行われる。

巡行風景

解説
 神幸祭の巡行は總社宮から仮殿への渡御である。大鳥居から境外へ出た行列はまず土橋通り(神社通り)を出て中町通りへ出ることが多い。幌獅子は露祓町以外は境内、境外に慣例により待機していたが、平成27年(2015)より幌獅子總揃が行われるようになると国衙跡である石岡小学校から行列に合流するようになった。その後年番町によってルートは異なるが観光的観点から近年は石岡駅及び御幸通りを必ず巡行路に入れるよう配慮がなされ、約2時間の行程となる。また年番町の相町の会所を巡行路に入れるほか、広く氏子区域に御祭神の御利益がもたらされるよう行程が組まれる。行程は年番町が案を出して総代会で決定し、その後氏子各町へと発表される。

巡行路例(令和元年年番國分町)

仮殿鎮座祭

次第
仮殿着御後直ちに仮殿を装飾準備す
祭典に先立ち露祓町挨拶の儀
時刻宮司以下祭員神幸所役、総代及び年番町各町供奉員
 所定の座に著く
次に神楽太鼓を奏す
先ず天国宝剣を返納す
次に修祓
次に宮司一拝(諸員之に倣ふ)
次に神饌を供す
次に宮司祝詞を奏す(此の間諸員磬折)
次に宮司玉串を奉りて拝礼(祭員列拝)
次に氏子会役員、年番町代表玉串を奉りて拝礼
 (関係者列拝)
次に宮司一拝(諸員之に倣ふ)
次に神楽太鼓を奏す
次に宮司挨拶
次に年番町祭典委員長挨拶
冨田町より順に仮殿参拝並びに舞奉納
次に直会

解説
 約2時間の渡御を終えた大神輿・供奉行列は年番町の仮殿に到着する。冨田町のささらは鎮座前の仮殿に向かって小屋から降ろした獅子で三匹踊りを行う。大神輿は神輿部長の口上と三本締めの後に仮殿鳥居前に一旦降ろされ、担ぎ棒のうち横棒を外した状態で鳥居をくぐり、仮殿内へ移動される。なお、平成24年(2012)の年番金丸町の川上耕次より大型の鳥居が奉納される以前は鳳凰を鳥居前で一旦取り外し、鳥居をくぐってから取り付け直していた。猿田彦以下威儀物所役は神職に威儀物を返納する。鎮座祭が始まる以前、露祓町挨拶の儀が行われる。この際露祓三町の世話人(巡行責任者)は年番町の呼びかけにより仮殿境内に参集する習わしとなっている。宮司のほか祭員約2名による鎮座祭はまず祭典委員長が天国宝剣を宮司へ返納し、続いて修祓、宮司一拝、献饌のあと祝詞奏上が行われる。祝詞は渡御を終え、今まさに年番町の仮殿に鎮座したこと、これから2晩この地に安らかに鎮座されたい旨を御祭神に伝える内容である。玉串拝礼は宮司、氏子会長、総代、年番町祭典委員長、神輿部長ほかが行い、宮司一拝後号鼓をもって終了し、各氏の挨拶が行われる。挨拶後、氏子会長以下総代と各町内の代表者は年番町が設営した会場へ移動し、直会を行う。神職は別席にて年番町の接待を受ける。大神輿に供奉した露祓町以外の町内は仮殿に御祭神が鎮座後、鳥居の前から参拝して帰路につく。