例祭
次第
当日早旦社殿を装飾す
時刻宮司以下祭員献幣使総代及び氏子崇敬者拝殿ヘ参進
(是より先手水の儀あり)
次に各員所定の座に著く
次に神楽太鼓を奏す
次に修祓
次に宮司一拝(諸員之に倣ふ)
次に宮司御扉を開き畢りて側に候す
(此の間奏楽警蹕諸員平伏)
次に禰宜以下祭員神饌を供す(此の間奏楽)
次に氏子会長氏子幣を献ず
次に年番町祭典委員長年番町幣を献ず
次に宮司祝詞を奏す(此の間諸員平伏)
次に禰宜本庁幣を献ず
次に献幣使祭詞を奏す(此の間諸員平伏)
次に神楽を奉奏す
次に宮司玉串を奉りて拝礼(禰宜以下祭員列拝)
次に献幣使玉串を奉りて拝礼(随員列拝)
次に総代、氏子会役員、年番町役員、
来賓玉串を奉りて拝礼(関係者列拝)
次に禰宜本庁幣、氏子幣、年番町幣を撤す
次に禰宜神饌を撤す(此の間奏楽)
次に宮司一拝(諸員之に倣ふ)
次に神楽太鼓を奏す
次に宮司、氏子会長より氏子功労者に感謝状を贈呈
次に各退出
次に直会
次に氏子会役員に神札を授与す
解説
例祭は各神社で一年に一度(複数の場合もある)恒例で行われる最も重要な祭儀である。神社本庁包括下の神社の祭式上、祭典・祭儀は大祭、中祭、小祭に類別され、例祭は祈年祭、新嘗祭などとともに大祭式によって行われる。そのため通称「例大祭」と称されることが多い。常陸國總社宮では例祭のみが大祭式によって行われる時代が続いたために例祭を「大祭」と言い慣わしてきたが、近年祈年祭、新嘗祭も大祭式によって斎行しているため、本義に即して名称を整理した。すなわち毎年9月15日に行われる祭儀を「例祭」と呼び、祭礼3日間、もしくは4日間全体を「例大祭」とした。なお、神社本庁では包括するすべての神社の例祭日を登録しており、神社の格式や恒例に基づいて献幣使を派遣し、「本庁幣」と呼ばれる幣帛料が下賜される。従来總社宮の例祭日は9日であり、神幸祭は8日、還幸祭は10日であったが敬老の日の9月15日が休日となって以後、昭和42年(1967)より例祭日を15日に移行した。これに伴い神幸祭は14日、還幸祭は16日となったが、いわゆるハッピーマンデー制度によって敬老の日が第3月曜日となって以降、9月15日が必ずしも休日とはならなくなったが、神幸行列ならびに神賑行事は氏子や観光客が休日のほうが都合がよいため敬老の日を最終日とする土、日、月曜日に行うこととなった。そのため例祭のみ平日に、その他の行事が3連休に行われるために祭礼の日程は合計4日間になる場合もある。なお、例祭・例大祭の呼称分けが整理されるまでは祭礼が全4日間となった場合に日曜日に用いられる呼称がなくなってしまい、暫時的に「大祭」の呼称が引き続き用いられた時期もある。
県内の神社で茨城県神社庁から献幣使が派遣されるのは以下の神社である。すなわち鹿島神宮、大洗磯前神社、酒列磯前神社、常磐神社、笠間稲荷神社、筑波山神社、茨城県護国神社、(水戸)東照宮、大杉神社、そして常陸國總社宮である。總社宮以外は神社本庁の「別表神社」であり、同宮が社格からすれば旧県社ではあるが、歴史的な意義から見て別表神社に極めて近い扱いを受けてしかるべきという認識が、献幣使制度が整った時代の茨城県の神社界にあったであろうことが推察される。
例祭は神社本庁の祭式規定に則り神職全員が正服で奉仕する。次第は別表の通りである。平成23年(2011)の土橋町の年番から、祝詞奏上の後に露祓町による「神楽奉納」が行われるようになり、現在3町持ち回りとなっている。 例祭の参列者は氏子会長、年番町祭典委員長のほか年番町役員数名、氏子各町の代表者2名ずつ、市長や振興協議会会長などの関係者、そして県内神社の宮司や篤信者である。
なお、例大祭は旧来の日程では神幸祭、例祭、還幸祭の順に行われるため例祭の斎行は御分霊が仮殿に鎮座してからのことになる。俗信では大神輿が出御したからには本殿に御祭神がいないとする者があるがこれは誤りであり、仮殿はあくまで御分霊で本殿にも御祭神が鎮座し続けていると見るべきである。大神輿には御神体が遷されているが、こちらは神輿に載せるための御神体であり、本殿遷座の際に遷される御神体とは別物である。