土俵祭 奉納相撲
次第
宮相撲に先立ち土俵祭を行ふ
その儀先ず土俵を弁備す
定刻斎主以下祭員力士関係者所定の座に著く
次に修祓
次に降神(此の間警蹕諸員平伏)
次に斎主一拝(諸員之に倣ふ)
次に神饌を供す
次に斎主祝詞を奏す(此の間諸員平伏)
次に斎主玉串を奉りて拝礼(祭員列拝)
次に役員、力士代表玉串を奉りて拝礼(此の間奏楽)
次に神饌を撤す
次に斎主一拝(諸員之に倣ふ)
次に昇神(此の間警蹕諸員平伏)
次に相撲幣を頒つ
次に斎主挨拶
次に神酒拝戴
次に取組開始
解説
常陸國總社宮例大祭における神賑行事の中で最も歴史が古いのが奉納相撲である。古くは「常府古跡案内しるべ」などに記述が見られ、江戸時代の天明年間頃に始められたと考えられる。当初の奉納相撲は恋瀬川の河原で行われていたものと考えられるが、相撲見物には行けども神社に参拝しない不届者がいるとのことで境内に土俵を設けることになった。以来、奉祝祭の朝から行われているが、これはすなわち本来の例祭日であった9月9日、例祭の祭典と同日に行われていたことを意味する。
9月上旬、年番町相撲部が奉納相撲指導者に指導を仰ぎながら土俵作りを行う。この際土俵の屋根には紫色の大幕が張られる。土俵作りが終わると関係者は神酒を拝戴する。
神職は斎服・浄衣で奉仕し、年番町相撲部長、奉納相撲指導者(令和2年〈2020〉現在は羽冨喬樹)、相撲連盟役員、力士たちが参列する。祭壇は土俵中央に立てられた相撲幣を中心に設けられ、總社宮の御祭神のほか相撲にまつわる建御雷大神、野見宿禰大神を降神して行われる。
なお相撲幣は上記の1本のほか、屋根を支える柱4本にそれぞれ取り付けられ、年番町役員の記念品としても配られるため、毎年20~30本ほど神社で奉製される。
講社祭・特別祈願祭
次第
時刻斎主以下祭員参進
次に神楽太鼓を奏す
次に修祓
次に斎主一拝
次に神饌を供す(此の間奏楽)
次に祝詞を奏す
次に神楽を奉奏す
次に斎主玉串を奉り拝礼
次に参列者玉串を奉り拝礼
次に斎主一拝
次に神楽太鼓を奏す
次に各退出
次に直会
解説
奉祝祭の午後には崇敬者や講中による講社祭・特別祈願祭が行われる。總社宮の崇敬者は石岡市内だけでなく市外、県外にも存在し、神威が最も高まる例大祭に併せ祈願に訪れる崇敬者が多数存在する。
また、總社宮には現在、2種類の講中がある。例大祭に団体参拝する「神楽講(社)」と節分祭の「節分講(社)」である。講、講中、講社とは一般的に同一の信仰を持つ集団を意味するが、總社宮の講中は氏子区域よりの周縁部の地区単位における崇敬者集団としての性格を持つ。神社の記録によれば現存2種の講中のほか新嘗祭に初穂を奉納する「初穂講」や戦前に結成され現在休止状態にある敬神婦人会による「清心講」、「豊栄講」などが存在した。
例大祭の「神楽講」は講員が奉納する初穂料によって例大祭時に神楽が奉納されるという意味合いを持つ。毎年8月になると神職が講中を取りまとめる講元のもとへ祈願簿をもって訪問し、当年の団体参拝の取りまとめを依頼する。講元は地区内の希望者を取りまとめて初穂料を神社に持参し、参拝予定者を報告する。
神社では祭礼期間までに講中ごとに記名の神札と供物を用意し、参拝時には団体祈祷を行ってこれを頒布する。祈祷後、講員は直会を行い、後述する染谷十二座神楽や奉納相撲を見物し、さらに市中で幌獅子、山車などを見物して帰っていく。
現存する講中は以下である。
旧石岡の染谷、旧千代田の粟田、高倉、旧八郷町の永沼、部原、柴間、嘉良寿理、旧玉里村の田木谷、旧美野里町の竹原、大谷、部室、旧出島の安食、土浦市の田村、殿里、旧新治村の上坂田、下坂田。なお石岡市の茨城、田島、小目代、谷向、宮部、大谷津は「市内講中」と通称され、参列はなく神札のみ頒布される。
明神神輿渡御
次第
発輿式
次第大神輿発輿式に準ず
還幸祭
次第大神輿還幸祭に準ず
解説
明神神輿は大神輿よりも一回り小さく、平成9年(1997)に新調された神輿である。祭礼期間中、例祭日である15日(かつては9日)は大神輿が仮殿に鎮座したままのため渡御が行われなかった。そのため神輿愛好者や観光客の求めに応じて奉祝祭の際に渡御を行うべく總社宮直属の神輿会である總社明神会の運営により巡行が始められたもの。
通例では奉祝祭の12時30分から発輿式を行う。その際、明神神輿は大神輿と違って土俵ではなく拝殿北側に準備される。大神輿同様に神霊遷しを行うが、祭典前に神職のみで行う場合もある。玉串拝礼後、明神会会長の挨拶や木頭の一本締めがあり出御。その際、神楽殿では巫女による浦安の舞が奉奏される。
巡行路は概ね例年同様であり、宮下通りから中町通りを経て駅前へと至り、幌獅子大行列に合流。終了後に分離して土橋通りへと至り、還御する。
担ぎ手は大神輿とは異なり明神会の会員と一日会員として登録した神輿愛好家が全国から訪れる。
染谷十二座神楽
第一座:「猿田彦の舞」
露祓いの舞で、猿田彦尊が槍をかざして厄や悪人を追い払う。
第二座:「矢大人」
矢大臣尊が弓矢で鬼を追い、四方の厄を祓う。
第三座:「長刀つかい」
右大臣尊の「長刀の舞」とも、「カラス天狗の舞」ともいわれる。
第四座:「剣の舞」
左大臣尊が剣を使い、四方の厄を祓う。
第五座:「豆まき」
神が、田畑に豆をまき、祭りを祝う。肥料をまいているともいわれる。
第六座:「狐の田うない」
雄狐、雌狐が仲良く、あるいは、競い合って田をユーモラスに耕す舞。
第七座:「種まき」
田うないの終わった田に、神が種をまく。鈴は種を表現するとともに浄めの行為である。
第八座:「巫女の舞」
巫女が鈴と榊を持ち、神々が降り立つ田の汚れを浄める。舞手は小学生である。
第九座:「鬼の餅まき」
収穫への感謝を表現する。見物人に餅をまき、共に喜びを分かち合う。
第十座:「みきの舞」
二人の神が、神酒を捧げて、祈りと感謝を表現する舞である。
第十一座:「えびすの舞」
おかめと、えびすで賑やかに鯛釣りをする。祝い、喜びを表現する舞である。
第十二座:「天の岩戸」
天照大御神を引き出し、世の中の平穏・五穀豊穣を祝う。天手力雄命が、岩を引き剥がす(岩ひがしの舞ともいわれる)。続く「天鈿女命」の舞で終焉する。
解説
関東地方で行われている里神楽(民間で行われる神楽の総称)の一つで、石岡市染谷「佐志能神社」に毎年4月19日、奉祝祭の午後には總社宮に奉納される。楽器は、大太鼓・小太鼓・笛・鼓・鈴を使用し、演者は扮装(きら)をこらし、巫女の舞以外は、仮面をかぶって、無言の所作で表現する。
石岡市には、3ヶ所に十二座神楽の伝承をみることができる。染谷佐志能神社十二座神楽、根小屋七代天神社十二座神楽、そして柿岡八幡神社太々神楽である。染谷と根小屋に伝承されている十二座神楽は、様々な伝承がある根小屋から染谷へ伝播したであろうと推測されている。2ヶ所の十二座神楽は、埼玉県鷲宮神社土師一流催馬楽神楽が、宝永5年(1708)に12段編成される以前に伝播したといわれるのは、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神の演目がないこと、一神一座編成を中心としていることなどからである。その起源は、西暦1680年以前頃まで遡ることができるとされており、その後の変遷はあるものの、染谷十二座神楽は、約350年以前よりこの地に伝播し、踊り継がれているものである。
12の演目(十二座)があり、第一座から第十二座まで、約2時間かけて行う。
仮殿祭(年番町安全祈願祭)
次第
仮殿を弁備す
時刻宮司以下祭員年番町役員所定の座に著く
次に神楽太鼓を奏す
次に修祓
次に宮司一拝(諸員之に倣ふ)
次に神饌を供す
次に宮司祝詞を奏す(此の間諸員磬折)
次に宮司玉串を奉りて拝礼(祭員列拝)
次に年番町役員、参列者玉串を奉りて拝礼(関係者列拝)
次に神饌を撤す
次に宮司一拝(諸員之に倣ふ)
次に巫女浦安の舞を奉奏す
次に巫女神饌散供(紅白餅撒きの儀)
次に神酒拝戴
解説
奉祝祭の最後に仮殿で行われるのが年番町安全祈願祭である。年番町祭典委員長以下役員はもとより、町内の氏子ができるだけ参列するよう声がかけられる。近年は町内の祭礼風流も時間までに鳥居前に整列する。
玉串拝礼は年番町祭典委員長のほか年番町の希望により約10名ほど行うのが通例である。その際、神社部長、仮殿部長は必ず含まれる。
本祭典の特徴は祭典の最後に巫女による浦安の舞の奉奏と紅白餅撒きが行われる点である。浦安の舞は昭和15年(1940)に皇紀2600年を奉祝すべく、昭和天皇の御製に宮内庁楽部の多忠朝が作曲作舞した神楽である。一人舞、二人舞、四人舞があるが、本祭典では祭場の都合もあり二人舞が通例である。
平成28年(2016)の本殿修復に伴って仮殿が新調され、座礼(座敷の祭場における礼法)から立礼(床式の祭場における礼法)へと変更がなされたが、観覧者、参拝者への配慮から巫女舞と餅撒きに先立って仮設の簡易式舞台が設営される。
なお、餅は丸餅で年番町が用意するのが通例である。近年は巫女とともに年番町役員も餅撒きに加わることもあり、その際はさらに多くの餅が用意される。御分霊から年番町への御利益として参集した氏子は競ってこれを拾いあう。