例大祭の概要

 

日本では飛鳥時代(592〜710年)から明治時代に至るまで 、律令制に伴って国内の地域を令制国と区分していました。石岡が誇る古社「常陸國總社宮」はその国のひとつ、常陸国の総社です。

 

総社とは律令国ごとに鎮座する八百万の神々を一ヶ所に合祀した神社を指します。かつて国の政務を司る国司は総社を拝することで神々に祈りを捧げました。常陸國總社宮は創建以来、絶えることなく神々への祭礼を続ける数少ない総社です。總社宮では年間を通じてさま ざまな 祭典を行いますが、その最大の祭典として現在まで続くのが常陸國總社宮例大祭です。

 

例大祭は現在、9月15日、そして「敬老の日」の前々日の土曜からの3日間にわたって盛大に行われます。地域を挙げて祝われることから市民に「石岡のおまつり」として親しまれており、「正月や盆には帰省しなくとも祭りには帰る」と強い思い入れをもつ人も少なくありません。江戸中期から明治にかけて取り入れられた祭礼風流の数々は文化的価値も高く評価され、近年は全国より50万もの観光客が訪れることから関東三大祭の一つに数えられます。

常陸国の歴史を、
いまに伝える
石岡のおまつり

 

国司にとって特に重要な政務であったのが、自らが諸神に対して国内の安寧を祈願する「国府の祭祀」です。常陸國總社宮例大祭は、その現代的な形と言えるでしょう。

 

近世以降、例大祭は古来続く神事にさまざまな要素を加えて今日まで発展を見せました。江戸時代中期の延享年間(1744〜47年)頃に奉納相撲が加わったほか、幕末から維新期にかけて常陸府中藩で行われていた天王祭(祇園祭)や愛宕祭などの神賑行事が總社宮の例大祭 に移行します。さらには富裕な商人層による贅を凝らした江戸型山車の登場や菊花紋の大神輿とそれに供奉する行列の発展を経て、「国府の祭祀」は現在の「石岡のおまつり」へと姿を変えていきます。

 

本殿、土橋町の獅子頭や獅子舞、金丸町・中町の山車人形、冨田のささら、石岡囃子などの例大祭に不可欠な要素は現在、有形無形の文化財指定を受けています。石岡の地とともにあり続けた一祭礼はいまや、常陸国の文化と歴史を現在に伝える唯一無二の祭りなのです。